2010年05月06日
新潟の旅⑤
2日目その3
まだまだ続きます。
米どころ新潟の田園を横目に高速道路を北上し、一路村上市を目指します。

村上市は、村上藩の城下町だった地域で、古い町割りや城下町の面影を残しています。
現在は古い町並みを活かした取り組みも活発に行われているようです。


おしゃぎり会館です。
江戸時代から伝わる、お祭りが伝承されています。

村上城跡です。すぐ下は町並みで、威圧感たっぷりです(^^;)
古い町並みや取組にも、当然興味はあったんですけど、当ブログをご覧頂いてる方々なら、一度はやったことあるでしょうけど(^^;)、ネットで”塩引鮭”と検索すると、必ず村上市がヒットするんです。
さらに調べてみると、塩引鮭は村上藩の収入源だったとのことですし、古くから受け継がれた文化でもあったわけです。

お約束のように、普通の民家に吊られていました(^^;)
家でも昔はお歳暮にいただいた、塩引鮭を吊るしていたもんですが、頭を上にしていたように思います。
ですが、ここ村上では、尻尾が上で、腹は切らないそうなんです。
なんでかって、塩引鮭は貴重な藩の財源でお侍さんに配慮して、”首吊り”とか”切腹”を連想することを避けたとかというお話でした。
さらにさらに、町並みの北を流れる三面川(みおもてがわ)というのが、鮭が遡上してくる川で、ここにサーモンパークなんていう公園やイヨボヤ会館(イヨボヤ=さけ)なんていうものまであったりします(^^;)
村上藩の歴史や、鮭の歴史も勉強できます。
ホント勉強になりました。
今では、多くの人が、鮭は産まれた川に帰ってくることは知っていると思いますが、この習性を発見し、育成を行ったのは村上藩の”青砥 武平治(あおと ぶへいじ)”という人なんだそうです。
鮭は村上藩の貴重な資源でしたが、一方で乱獲により枯渇寸前だったそうです。
いち早く気づき実践した人がいたんです。
明治維新後も、地域の貴重な資源として保護し、地域の発展の糧となったそうで、その資金を奨学金として人材育成にも役立てたとのことでした。

”鯉のぼり”でなく”鮭のぼり”、、、やりますね(^^;)
ちなみに、”鮭”に関する料理とか食文化の展示とか解説もしていましたし、鮭の加工品などのお土産もたくさんありましたが、残念ながら”しょーびき餅”情報は得られませんでした(^^;)
(つづく)
まだまだ続きます。
米どころ新潟の田園を横目に高速道路を北上し、一路村上市を目指します。
村上市は、村上藩の城下町だった地域で、古い町割りや城下町の面影を残しています。
現在は古い町並みを活かした取り組みも活発に行われているようです。
おしゃぎり会館です。
江戸時代から伝わる、お祭りが伝承されています。
村上城跡です。すぐ下は町並みで、威圧感たっぷりです(^^;)
古い町並みや取組にも、当然興味はあったんですけど、当ブログをご覧頂いてる方々なら、一度はやったことあるでしょうけど(^^;)、ネットで”塩引鮭”と検索すると、必ず村上市がヒットするんです。
さらに調べてみると、塩引鮭は村上藩の収入源だったとのことですし、古くから受け継がれた文化でもあったわけです。
お約束のように、普通の民家に吊られていました(^^;)
家でも昔はお歳暮にいただいた、塩引鮭を吊るしていたもんですが、頭を上にしていたように思います。
ですが、ここ村上では、尻尾が上で、腹は切らないそうなんです。
なんでかって、塩引鮭は貴重な藩の財源でお侍さんに配慮して、”首吊り”とか”切腹”を連想することを避けたとかというお話でした。
さらにさらに、町並みの北を流れる三面川(みおもてがわ)というのが、鮭が遡上してくる川で、ここにサーモンパークなんていう公園やイヨボヤ会館(イヨボヤ=さけ)なんていうものまであったりします(^^;)
村上藩の歴史や、鮭の歴史も勉強できます。
ホント勉強になりました。
今では、多くの人が、鮭は産まれた川に帰ってくることは知っていると思いますが、この習性を発見し、育成を行ったのは村上藩の”青砥 武平治(あおと ぶへいじ)”という人なんだそうです。
鮭は村上藩の貴重な資源でしたが、一方で乱獲により枯渇寸前だったそうです。
いち早く気づき実践した人がいたんです。
明治維新後も、地域の貴重な資源として保護し、地域の発展の糧となったそうで、その資金を奨学金として人材育成にも役立てたとのことでした。
”鯉のぼり”でなく”鮭のぼり”、、、やりますね(^^;)
ちなみに、”鮭”に関する料理とか食文化の展示とか解説もしていましたし、鮭の加工品などのお土産もたくさんありましたが、残念ながら”しょーびき餅”情報は得られませんでした(^^;)
(つづく)
Posted by いのししお at 21:45│Comments(0)
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